
真実であることはどこまで重要なのか。
ショート動画、SNSの投稿、ニュース、そしてこの記事。
私たちは毎日、誰かが意図をもって作った情報を見ています。
AIによって、それが人間によるものか、生成されたものか、現実の記録か、創作かは、以前より見えにくくなりました。
けれど、ここで立ち止まって考えたいのは、「どう見分けるか」ではありません。
あなたは、何を見て、どの瞬間にそれを信じているのか。
それとも、ただ流れていくものを眺めているだけなのか。
その感覚自体を、今回は問いとして置いてみたいと思います。
あなたが今見ているその情報は、誰が、どんな意図で作ったものなのか。
通勤中に流れてきた動画。
何気なく開いたSNSの投稿。
おすすめに出てきた記事。
それらは、たまたま目に入ったようでいて、誰かが、誰かに向けて作ったものです。
伝えたいことがあったのか。
広めたい考えがあったのか。
反応を集めたかっただけなのか。
それを考えないまま受け取るとき、あなたはどこまで自分で選んで見ていると言えるのでしょうか。
あなたはそれを、確かめようとして見ているのか、ただ流して見ているのか。
本当かもしれない。
でも、違うかもしれない。
そう思ったまま、次の投稿に進んだことはないでしょうか。
立ち止まって調べたわけでもなく、はっきり信じたわけでもない。
そんな状態が続いたとき、あなたの中には、なにが残るのでしょうか。
それが本当かどうかよりも、心が動いたかどうかで受け取っていないか。
確かさを求めて情報に触れることもあれば、気持ちが動くものを探していることもあります。
ときには、何かを確かめたいわけでも、強く信じたいわけでもなく、ただ流れてきたものを見ているだけのこともあります。
そのいくつかは、意識して選んでいるものかもしれません。
そうでないものも、あるかもしれません。
あなたはいま、どんな距離感で情報を見ているでしょうか。
そして、その距離感は、あなたが望んだものなのでしょうか。
あなたにとって、真実であることはどれくらい重要なのか。
あなたは、どれくらいの頻度で、「これは本当だろうか」と立ち止まっているでしょうか。
そして、立ち止まらないその距離感は、あなたが選んだものなのでしょうか。
それとも、いつの間にか、そうなっていたものなのでしょうか。
AIは、これからも
もっと自然な文章や、もっと本物らしい映像を生み出していきます。
けれど、何を信じるかを決めているのは、いつも見る側です。
あなたは今日、
どの情報に立ち止まり、
どの情報を流し、
何を「本当だ」と感じたでしょうか。
その感覚は、あなたの中に、どんな形で残っているでしょうか。

