01
選択肢が提示される前に、何がすでに決められているのか
レコメンドは、選択を助けるための仕組みとして存在している。
しかし、あなたが目にする選択肢は、常に「私に最適化され、選別されたうえで提示されたもの」でもある。
画面に並ぶものは、偶然そこにあるわけではない。
けれど、その外側にあったはずの選択肢は、どこへ行ったのだろうか。
あなたは、どの段階から選択肢を見て、選び始めているのだろうか。
02
「迷わなくてよい状態」は、選択の自由と言えるのか
最適化や自動化は、迷う時間を減らしてくれる。
考えなくても進めることは、たしかに楽でもある。
けれど、そのとき選んでいるのは誰なのだろうか。
結果がうまくいかなかったとして、その選択は誰のものになるのだろうか。
迷わずに進めたその快適さは、自由と呼べるものなのだろうか。
03
選んだ理由を説明できない選択は、誰のものなのか
気づいたら、それを選んでいた。
比較した記憶も、強い動機もない。
ただ、目に入って、違和感がなく、そのまま進んだ。
あとから理由を聞かれても、うまく言葉にできない。
そうした選択が増えるとき、それは誰が選んだものなのだろうか。選択の主体は誰にあるのだろうか。
04
選択しないことを選ぶ余地は、残っているのか
多くのことが、何もしなくても決まっていく。
初期設定のまま、前と同じまま、自動のまま。
選ばなかったというより、選ぶ場面がなかった。
そう感じるとき、私たちは何から降りているのだろうか。
「選択しないこと」は、選択したと言えるのだろうか。
テクノロジーは、私たちから選択を奪っているのかもしれないし、別の形で与えているのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、「選択している」という感覚そのものが、以前と同じ前提では語れなくなっているということだ。
あなたが最近「選んだ」と感じたものは、どの段階から、あなたの選択だったのだろうか。






