1999年、Excite CEO ジョージ・ベルの前に、二人の大学院生が座っていた。
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン。彼らは自分たちの検索技術を売り込んでいた。価格は75万ドル。しかしベルは拒否した。「検索は差別化できない」——当時の業界常識だった。
2026年現在、Googleの時価総額は約600兆円。Exciteは2001年に破産した。
これは単なる「見る目がなかった」という話ではない。35年の検索エンジン戦争が示すのは、もっと本質的な法則だ。
AltaVistaは技術で勝っていた。1日数千万クエリ、研究者の45%の支持。しかし親会社Compaqの「ポータル戦略」で自滅。Yahoo!は「検索は外注できる」と判断し、Googleに顧客を送り込んだ。どちらも、後から見れば明白な過ちだ。だが当時、誰も気づかなかった。
今、Google自身が同じ岐路に立つ。シェアは89%。しかし2025年5月、Appleのエディ・キューは証言した。「22年間で初めて、検索ボリュームが実際に減少した」。ChatGPT、Perplexityが、検索そのものを置き換え始めている。
技術的優位は必要条件だが十分条件ではない。検索の定義は常に変化する。勝者は必ず入れ替わる。
この法則は、今まさに、4度目の覇権交代を予告している。
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第一幕:検索の誕生とAltaVistaの栄光(1990-1998)
「ファイル名を探す」から始まった
1990年9月10日、カナダのマギル大学で一つのツールが公開された。Archie(アーキー/アーチー)だ。開発者はアラン・エムテージ。当時大学院生だった彼は、インターネット上に散らばるファイルを見つける方法を探していた。
Archieができたのは、FTPサーバーに置かれたファイルの「名前」を検索することだけだった。ファイルの中身は読めない。「report.txt」というファイルがどこにあるかは分かるが、その中に何が書いてあるかは分からない。

それでも、これは革命だった。インターネットが図書館だとすれば、Archieは最初の「蔵書目録」だった。本の背表紙を読めるようになった——それだけで、世界は大きく変わった。
翌年にはGopher(ゴーファー)プロトコル用の検索エンジンVeronica(ヴェロニカ)が登場し、1993年にはWorld Wide Web Wandererが開発された。「検索」という概念が、少しずつ形を成していった。
世界初のフルテキスト検索
1994年4月20日、ワシントン大学の大学院生ブライアン・ピンカートンが、WebCrawlerを公開した。
これは決定的な転換点だった。WebCrawlerは、Webページの「中身」を検索できた。ファイル名ではなく、ページに書かれているテキストそのものを対象にした。「検索」の定義が、「ファイルを見つける」から「情報を見つける」に変わった瞬間だった。

同1994年、スタンフォード大学の大学院生ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロは、別のアプローチを取っていた。彼らは「Jerry and David’s Guide to the World Wide Web」という名前で、Webサイトを人手で分類・整理したリストを公開した。後にYahoo!となるサービスだ。

WebCrawlerが「機械による全文検索」なら、Yahoo!は「人間による編集・分類」だった。二つの哲学が、ここで分岐した。
AltaVistaの技術的絶頂
1995年12月15日、Digital Equipment Corporation(DEC)がAltaVista(アルタビスタ)を公開した。
AltaVistaは、それまでの検索エンジンとは次元が違った。公開初日に1,600万ページをインデックスし、1日30万件のヒットを記録した。当時としては驚異的な規模だった。
技術的な優位性は明確だった。DECが誇る64ビットAlphaプロセッサの処理能力を活かし、他の検索エンジンでは不可能だった速度と規模を実現した。1998年には1日数千万クエリを処理するまでに成長し、同年2月の調査では研究者の45%が「最良の検索エンジン」と評価した。
AltaVistaは、検索エンジンの「技術的な到達点」だった。
時限爆弾
しかし、AltaVistaには——そしてこの時代のすべての検索エンジンには——構造的な限界があった。
ランキングの仕組みだ。当時の検索エンジンは、キーワードの出現頻度でページの関連性を判定していた。「犬」で検索すれば、「犬」という単語がたくさん出てくるページが上位に表示される。TF-IDF(Term Frequency-Inverse Document Frequency)と呼ばれる手法だ。
この仕組みには致命的な欠陥があった。スパムに弱い。
ページの作成者が「犬 犬 犬 犬 犬」と何百回も書けば、そのページは「犬」の検索で上位に表示される。ページの「品質」や「信頼性」を判定する方法がなかった。
1990年代後半、この問題は深刻化した。検索結果の上位がスパムサイトで埋め尽くされ、本当に探している情報にたどり着けない。技術的には最先端だったAltaVistaも、この問題を解決できなかった。
時限爆弾は、静かに時を刻んでいた。
第二幕:ポータル化という罠(1996-2002)
IPOラッシュと「検索のコモディティ化」
1996年4月、検索エンジン業界に熱狂が訪れた。
4月2日、Lycos(ライコス)が1株16ドルでIPO。4月初旬、Excite(エキサイト)が1株17ドルでIPO。そして4月12日、Yahoo!が1株13ドルで公開されると、終値は33ドルまで急騰した。初日で154%の上昇。投資家たちは「インターネットの入口」に群がった。
同じ頃、Netscapeは5つの検索エンジン——Yahoo!、Magellan、Lycos、Infoseek、Excite——と契約を結んだ。それぞれ500万ドル。Netscapeのブラウザに検索ボタンを設置し、ユーザーを誘導する権利だ。

この契約が象徴していたのは、「検索のコモディティ化」だった。検索エンジンは互いに差別化できない。どれも似たような結果を返す。だから、入口さえ確保できれば勝てる——そういう認識が広がった。
検索そのものの品質を競う時代は、終わったかに見えた。
Compaqという野蛮人
1998年6月、Compaq(コンパック)がDECを96億ドルで買収した。AltaVistaは、新しい親会社の下に入った。
ルイス・モニアーは、AltaVistaの共同創設者であり、検索技術の中核を担ったエンジニアだった。彼は2005年、ジョン・バッテルのインタビューでこう振り返っている。
「AltaVistaは技術的には大成功だったが、ビジネス的には災害だった。死に体の恐竜(Digital)の中に閉じ込められていたことが助けにならなかった。ヒューストンの野蛮人(Compaq)のポータル戦略と、コア検索へのフォーカス欠如が、残っていた価値をすべて破壊した。」 ※John Battelle’s Search Blog
「ヒューストンの野蛮人」――モニアーの言葉は痛烈だった。Compaqの本社はテキサス州ヒューストンにあった。彼らはAltaVistaを「検索エンジン」ではなく「ポータルサイト」に変えようとした。
ポータル化の本質
1999年1月、AltaVistaは正式にポータル戦略を開始した。Rod Schrockが新CEOに就任し、方針を明確にした。
ポータル化とは何か。検索だけでは広告収入を得にくい。ユーザーは検索結果をクリックして、すぐに他のサイトへ去ってしまう。だから、ニュース、メール、天気予報、ショッピング——あらゆる機能を追加して、ユーザーをサイト内に留めようとする。「滞在時間」を延ばせば、広告をたくさん見せられる。
理屈は正しいように聞こえた。しかし、結果は悲惨だった。
AltaVistaのトップページは、かつてのシンプルな検索窓から、雑多なリンクとバナー広告で埋め尽くされた画面に変わった。ページの読み込み速度は低下した。そして最も致命的だったことに、検索品質への投資が止まった。


元社員の証言によれば、重要な時期に数ヶ月間、メインインデックスの更新が放置されたという。技術的優位性は、静かに失われていった。
1999年4月、ルイス・モニアーはAltaVistaを去った。
75万ドルの拒否——Exciteの歴史的失敗
1999年、もう一つの歴史的な出来事が起きていた。
当時、スタンフォード大学の大学院生だったラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、自分たちが開発した検索技術を売却しようとしていた。会社を経営するより、研究を続けたかったからだ。彼らはExciteに売り込みをかけた。
ジョージ・ベルは当時ExciteのCEOだった。彼は2014年、Internet History Podcastでこう証言している。
「価格は現金75万ドルとExcite株約1%だったと記憶している。ラリーが主張したのは、Exciteに来るならExciteの全検索技術をGoogleのものに置き換える必要があるということだった。最終的にそこで交渉が決裂した。」 ※Internet History Podcast
初期の提示額は100万ドルだった。Kleiner Perkinsのビノッド・コースラが仲介役となり、75万ドルまで値下げされた。それでもExciteは拒否した。
2026年現在、Googleの時価総額は約4兆ドル(約600兆円)だ。Exciteは2001年に破産した。
なぜベルは拒否したのか。彼自身の説明はこうだ。「ラリーの条件——Exciteの検索技術を全て置き換える——は受け入れられなかった」。しかし本質的な理由は別にあった。Exciteもまた、検索を「差別化できない部品」と見なしていた。75万ドルの価値はない、と判断した。
検索エンジン業界全体が、同じ誤解を共有していた。
第三幕:Googleの台頭(1998-2004)
「リンク=投票」という発想
1996年、スタンフォード大学の大学院生ラリー・ペイジは、一つのアイデアに取り憑かれていた。
学術論文の世界では、論文の重要性を測る方法がある。他の論文からどれだけ引用されているか、だ。多くの研究者に引用される論文は、重要な論文だと見なされる。これを「インパクトファクター」と呼ぶ。
ラリー・ペイジは考えた。同じことがWebにも適用できないか。
Webページには、他のページへのリンクがある。リンクは、いわば「推薦」だ。あるページが多くのページからリンクされているなら、そのページは価値があるのではないか。さらに、「権威あるページ」からのリンクは、「無名のページ」からのリンクより重みがあるのではないか。
これがPageRankアルゴリズムの核心だった。リンクを「投票」と見なし、Webの集合知を活用して、ページの品質を判定する。
従来の検索エンジンは「ページの中身」だけを見ていた。PageRankは「ページ間の関係性」を見た。この発想の転換が、すべてを変えた。
ラリー・ペイジは同級生のセルゲイ・ブリンとともに、このアルゴリズムを実装した。プロジェクト名は「BackRub(バックラブ)」——被リンク(バックリンク)を分析するという意味だ。1996年3月、スタンフォード大学のサーバーで稼働を開始した。
10万ドルの小切手
1998年夏、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは資金調達に奔走していた。BackRubを「Google」と改名し、会社として独立させようとしていた。

8月のある日、二人はスタンフォード大学の教授デビッド・チェリトンの自宅にいた。チェリトンが、ある人物を紹介するために呼んでいたからだ。
アンディ・ベクトルシャイム。Sun Microsystemsの共同創業者であり、シリコンバレーで最も成功したエンジェル投資家の一人だった。
セルゲイ・ブリンは後に、MIT Technology Review(2000年11月)でその日のことを振り返っている。
「最初の小切手はAndy Bechtolsheimからだった。彼は『詳細を議論するより、小切手を書こう』と言った。それは『Google Inc.』宛てだったが、その時点で会社は存在していなかった。金額は10万ドルだった。」 ※Search Us, Says Google
アンディ・ベクトルシャイはデモを見て、数分で決断した。小切手は、まだ存在しない会社宛てに書かれた。ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、この小切手を換金するために、急いで会社を設立しなければならなかった。
1998年9月4日、Google Inc.はカリフォルニア州で法人登記された。最初のオフィスは、スーザン・ウォジスキ(後のYouTube CEO)のガレージだった。
スーザン・ウォジスキのガレージ(Google最初のオフィス)
Yahoo!の致命的な判断ミス
2000年6月26日、Yahoo!は一つの決断を下した。自社の検索機能をGoogleに外注する。※ Yahoo! Selects Google as its Default Search Engine Provider
Yahoo!のトップページで検索すると、結果はGoogleのエンジンが返す。ページの下部には「Powered by Google」と表示される。Yahoo!はGoogleに使用料を支払い、Googleは圧倒的なトラフィックを得た。
この契約は、Yahoo!にとって致命的だった。

「Powered by Google」の表示は、Googleの知名度を急上昇させた。ユーザーは「Yahoo!よりGoogleの方が検索結果が良い」と気づき始めた。そして、Yahoo!を経由せず、直接google.comにアクセスするようになった。
Yahoo!は、自社の顧客を競合に送り込む導線を、自ら作ってしまった。
なぜこんな判断をしたのか。答えは単純だ。Yahoo!は検索を「コア事業」と見なしていなかった。Yahoo!のアイデンティティは「メディア企業」だった。ニュース、メール、ファイナンス、スポーツ——コンテンツを集めてユーザーを惹きつけ、広告を売る。検索は、その中の一機能に過ぎない。外注できるなら、外注すればいい。
2002年、Yahoo!の経営陣はようやく危機に気づいた。Googleを30億ドルで買収しようと交渉を始めた。しかしGoogleは50億ドルを要求した。交渉は決裂した。
この失敗は、テクノロジー業界の歴史に刻まれることになる。
AdWordsという収益モデル革命

2000年10月23日、Googleは広告サービス「AdWords」を開始した。約350の広告主が参加した。
当初のAdWordsは、インプレッション課金(CPM)モデルだった。広告が表示された回数に応じて課金する、従来型の仕組みだ。しかし2002年2月、Googleは根本的な転換を行った。「AdWords Select」の導入だ。
AdWords Selectには、二つの革新があった。
第一に、クリック課金(CPC)モデルへの移行。広告が表示されただけでは課金されない。ユーザーが実際にクリックしたときだけ課金される。広告主にとって、これは「成果に対してだけ払う」という明快な仕組みだった。
第二に、「品質スコア」の導入。これが決定的だった。
競合のOverture(オーバーチュア)は、単純なオークション方式を採用していた。最も高い金額を入札した広告主が、最も目立つ位置に表示される。金を積めば勝てる。
Googleは違った。広告の順位を「入札額 × 品質スコア」で決定した。品質スコアとは、広告がユーザーにとってどれだけ関連性が高いか、クリックされやすいかを示す指標だ。
| 項目 | Overture | Google AdWords |
|---|---|---|
| ランキング方式 | 入札額のみ | 入札額 × 品質スコア |
| オークション形式 | 第一価格(入札額をそのまま支払い) | 第二価格(次点を上回る最低額を支払い) |
| 結果 | 高額入札者が低品質広告でも上位 | 関連性の高い広告が優遇される |
この設計が意味するのは、ユーザー体験と収益の両立だ。低品質な広告は、いくら金を積んでも上位に表示されない。ユーザーは関連性の高い広告を見る。広告主は、広告の質を改善するインセンティブを持つ。Googleは、より多くのクリックを生み出し、より多くの収益を得る。
全員が得をする仕組みだった。
2004年8月19日——IPOという到達点
2004年8月19日、Googleは株式を公開した。
公開価格は1株85ドル。調達額は約12億ドル、時価総額は230億ドルに達した。1998年にスーザン・ウォジスキのガレージで設立された会社が、6年で世界有数のテクノロジー企業になった。
IPO直前の2004年8月、Googleは一つの訴訟を和解で終結させた。Overtureとの特許紛争だ。OvertureはGoogleのAdWordsが自社の特許を侵害していると主張していた。
和解の内容は、GoogleがYahoo!(Overtureの親会社)に270万株を譲渡するというものだった。当時の株価で約3億ドル相当。Googleにとっては痛手だったが、特許紛争を解決し、IPOへの道を開く代償としては許容範囲だった。
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが「検索技術を100万ドルで売ろう」としてから、わずか6年。彼らの会社は、その2万倍以上の価値を持つに至った。
第四幕:Google独占の確立(2004-2022)
プラットフォーム支配という防衛線
2008年9月2日、Googleは独自ブラウザ「Chrome」を発表した。
多くの人が疑問に思った。なぜ検索会社がブラウザを作るのか。
答えは単純だった。防衛だ。
ブラウザは「インターネットの入口」だ。ユーザーがWebにアクセスするとき、最初に開くのがブラウザだ。そしてブラウザには「デフォルト検索エンジン」が設定されている。
もしMicrosoftがInternet Explorerのデフォルト検索をBingに固定したら。もしMozillaがFirefoxのデフォルト検索を他社に変えたら。Googleの収益は大きく損なわれる。
Chromeは、この依存関係を断ち切るための防衛線だった。自社ブラウザを持てば、デフォルト検索を自社に設定できる。入口を握れば、検索を握れる。
同じ2008年、GoogleはAndroid OSを本格展開した。スマートフォンという新しい「入口」を押さえるためだ。Android端末には、最初からChromeがインストールされている。Chromeを開けば、Googleが検索される。
検索エンジン単体の優劣ではなく、「ユーザーが最初に触れる場所」を支配する——これがGoogleの戦略だった。
TECHTECH. MAGAZINE

ブラウザ戦争 ——Netscape、Microsoft、Google。30年で3回入れ替わった覇権の構造
年間200億ドルの保険料
Googleは、自社プラットフォームだけでは満足しなかった。競合のプラットフォームも押さえにかかった。
最大の標的はAppleだった。iPhoneのSafariブラウザは、Googleにとって巨大なトラフィック源だ。もしAppleがデフォルト検索をBingに変えたら、どうなるか。
Googleの内部分析は冷酷だった。Appleデバイスでデフォルト検索エンジンの地位を失えば、iOSからの検索クエリ量の60-80%を失う。
この「最悪のシナリオ」を防ぐため、Googleは巨額を支払った。年間200億ドル以上(2022年時点。約3兆円)。AppleがSafariのデフォルト検索をGoogleに設定し続ける対価だ。
この金額は、Appleにとっても無視できない。高い利益率で「何もしなくても入ってくる金」だ。Appleが独自検索エンジンを開発するインセンティブを、この契約は完全に奪った。
Mozillaにも年間約5億ドルを支払った。Firefoxの収益の約85%は、Googleからの支払いで成り立っている。競合ブラウザの最大のライバルを、Googleが資金援助しているという奇妙な構造が生まれた。
Googleは巨額を払ってプラットフォームの「入口」を押さえた。しかし、それだけでは十分ではなかった。検索結果そのものを、ユーザーが離れられない場所に変える——そんな革命が、2012年に静かに始まっていた。
「物事」を理解する検索
2012年5月16日、Googleの検索担当SVP アミット・シンガルは、Google公式ブログで静かな革命を宣言した。「Knowledge Graphを発表できることを、本当に嬉しく思います」
その発表には、検索の歴史を二分する一文が含まれていた。「我々は、現実世界のエンティティとその関係性を理解するインテリジェントなモデルを構築してきました。ギーク的に言えば『グラフ』です。文字列(strings)ではなく、物事(things)を理解するのです」※Introducing the Knowledge Graph: things, not strings

例えば「タージマハル」と検索したとき、従来の検索エンジンはそれを単なる2つの単語(「タージ」と「マハル」)として扱っていた。だがKnowledge Graphは、それがインドの霊廟なのか、アトランティックシティのカジノなのか、あるいは同名のミュージシャンなのかを理解し、文脈に応じた回答を提示できる。
ローンチ時のスケールは驚異的だった。5億以上のエンティティ(人物、場所、物事)と、それらを結ぶ35億の事実。アミット・シンガルは語った。「これは次世代検索への重要な第一歩です。ウェブの集合知を活用し、人間のように世界を少しだけ理解する検索エンジンへの」
Knowledge Graphは、検索結果ページの風景を一変させた。それまで検索結果は「10本の青いリンク」と呼ばれていた——10個のウェブサイトへのリンクが縦に並ぶだけのシンプルな構成だった。Knowledge Graphの導入により、検索結果の右側(モバイルでは上部)に「ナレッジパネル」が出現。画像、説明文、関連する事実、「他の人はこちらも検索」といった情報が直接表示されるようになった。

このスケールは急速に拡大した。ローンチから7ヶ月後の2012年12月には、エンティティ数は5億7,000万に、事実の数は180億に達した——事実は414%の増加だった。2016年には10億エンティティ、2020年5月にはGoogleのダニー・サリバンが50億エンティティ、5,000億の事実と発表。2024年には推定540億エンティティ、1.6兆の事実にまで成長している。
「『タージマハル』についてGoogleが表示する情報は、その人物について人々が次に検索するクエリの37%に回答しています」とアミット・シンガルは語った。これが意味するのは、ユーザーがリンクをクリックしなくても、Google上で答えを得られるということだった。

Knowledge Graphがもたらした最も深刻な変化は、「ゼロクリック検索」の増加だった。検索したユーザーがどこのウェブサイトにもアクセスせず、Googleの結果ページ上で答えを得て去っていく現象だ。2024年の調査によれば、米国でのGoogle検索の58.5%がゼロクリックで終わる。モバイルでは77.2%に達する。この数字には、Knowledge GraphだけでなくGoogleの様々な「直接回答」機能が含まれるが、その始まりは2012年5月16日だった。
「ほとんどの場合、これらの情報は他のサイトからトラフィックを奪うものではない」とアミット・シンガルは主張した。「それでも、一部のサイトは損をするでしょうが、それは避けられないことだと考えています」
Googleは検索エンジンから「知識エンジン」へと進化していた。そしてこの進化は、12年後の2024年5月14日、AI Overviewsという形でさらに加速することになる。Knowledge Graphは、AIが生成する回答の「事実確認の核」として、今も静かに機能し続けている。
検索そのものの「意味」を変えたGoogleに対し、かつての王者Yahoo!は何も対抗できなかった。
Yahoo!の終焉
2008年2月、MicrosoftはYahoo!に買収提案を行った。446億ドル。当時のYahoo!株価に62%のプレミアムを乗せた、破格の提示だった。
Yahoo!の共同創業者ジェリー・ヤンは、この提案を拒否した。
ジェリー・ヤンの判断は、株主から猛烈な批判を浴びた。取締役会は紛糾し、同年11月にCEOを辞任した。
その後のYahoo!株価は低迷を続けた。2017年6月13日、Yahoo!はVerizonに売却された。売却額は44.8億ドル億ドル。Microsoftの提示額の10分の1だった。※SEC DEFM14A
2000年1月、Yahoo!の時価総額は1,000億ドル以上に達していた。「ググる」という言葉が生まれる前、Yahoo!は「インターネットの入口」そのものだった。
17年後、その会社は携帯電話会社の一部門として吸収された。
EU制裁金の累積
2017年6月27日、欧州委員会はGoogleに24.2億ユーロの制裁金を科した。ショッピング検索で自社サービスを不当に優遇したという判断だ。
2018年7月18日、さらに43.4億ユーロの制裁金。Android端末メーカーに対し、Googleアプリのプリインストールを強制したという独占禁止法違反だ。EU史上最高額の制裁金だった。
2019年3月20日、14.9億ユーロの制裁金。AdSenseの契約条項が競争を阻害したという判断だ。
合計約82.5億ユーロ、約100億ドル。莫大な金額だ。
しかし、Googleの年間売上高は3,000億ドル(2023年)を超える。制裁金は「経営コスト」として吸収された。市場支配は揺るがなかった。
市場シェア90%超の時代
2015年、Google検索のグローバルシェアは90%を超えた。
2006年6月15日、「google」という単語がOxford English Dictionaryに動詞として収録された。同年7月にはMerriam-Websterにも追加された。「ググる」は、「検索する」の同義語になった。※ 動詞「google」OED、Merriam-Webster
検索エンジン市場は、事実上の一社独占状態に入った。Bingは数%、Yahoo!は1%台。Googleは検索そのものを再定義し、競合の入る余地すら消し去った。「競争」と呼べる状況ではなかった。
検索エンジン戦争は完全に終結したかに見えた。しかし、この圧倒的支配の陰で、全く異なる価値観を掲げる小さな反乱が、静かに始まっていた。
第五幕:プライバシーという名の反乱
地下室から始まった革命
2008年2月29日、閏年のその日、ペンシルベニア州バレーフォージの未完成の地下室で、一人の起業家が検索エンジンを立ち上げた。
ガブリエル・ワインバーグは、前年に自らの会社を約1,000万ドルでClassmates.comに売却したばかりの31歳。彼が作ったのは、奇妙な名前の検索エンジン「DuckDuckGo」だった。名前の由来は子供の遊び「duck, duck, goose(ダックダックグース)」。「妻と散歩中に思いついた」と彼は後に語っている。
当時、誰もGoogleに対抗できるとは思っていなかった。だがワインバーグには、Googleが見落としている市場があると確信していた。彼は2011年、サンフランシスコに7,000ドルで看板広告を出した。そこにはこう書かれていた——「Google tracks you. We don’t.」(Googleはあなたを追跡する。我々はしない)

DuckDuckGoの成長は当初、緩やかだった。2010年の年間検索数はわずか1,640万件。しかし2013年6月、エドワード・スノーデンがNSAの大規模監視プログラムを暴露すると、状況は一変した。人々は突然、誰が自分のデータを見ているのかを気にし始めた。DuckDuckGoの日間検索数は300万件に跳ね上がり、2014年9月にはAppleがSafariの検索オプションにDuckDuckGoを追加。「プライバシー重視の検索エンジンが主要ブラウザに採用されたのは、これが初めてです」とDuckDuckGoは発表した。
2018年5月25日、GDPR(EU一般データ保護規則)が施行されると、プライバシー検索への関心は欧州全土に広がった。同年、DuckDuckGoは年間90億件の検索を処理。2020年には236億件、2021年には353億件に達した。2022年1月17日には過去最高の日間1億1,170万件を記録している。
ワインバーグは2019年、米国上院で証言した。「アメリカ国民は、オンラインで行く先々で監視されることに疲れ果てています」。彼は続けた。「私のビジネスはすでにGDPRに準拠しています。我々のプライバシーポリシーは単純明快——個人情報は一切収集も共有もしない」
第二の波:Brave Searchの台頭
2021年3月3日、別の挑戦者が現れた。JavaScriptの発明者であり、Mozilla共同創設者のブレンダン・アイクが率いるBrave Softwareが、ドイツのスタートアップTailcatを買収したのだ。Tailcatは、2020年に閉鎖されたプライバシーブラウザCliqzの検索技術チームが立ち上げた企業だった。
同年6月22日、Brave Searchがパブリックベータとして公開された。「Brave Searchは業界で最もプライベートな検索エンジンであると同時に、唯一の独立した検索エンジンです」とアイクは宣言した。ここで「独立」という言葉が重要だった。
DuckDuckGoは技術的にはMicrosoft Bingの検索結果に依存していた。Brave Searchは自前のインデックスをゼロから構築しようとしていたのだ。
2023年4月27日、Braveは歴史的な発表を行った。「Brave Searchのすべての検索結果が、独自インデックスから提供されるようになりました」。Bingへの依存度は当初13%だったが、この日ついに0%に達した。西側諸国で完全に独立した検索インデックスを持つのは、Google、Bing、そしてBrave Searchの3つだけとなった。※Brave Searchは検索結果ページからBingへの依存を取り除き100%の独立性を達成、BigTech検索に代わる真の選択肢を提供します
2025年9月、Braveブラウザの月間アクティブユーザーは1億人を突破。Brave Searchは日間5,000万件、年間200億件の検索を処理している。「1億ユーザーは単なる成長のマイルストーンではありません」とアイクは語った。「ユーザーを第一に置く、より良いWebへの運動なのです」
巨人への圧力
DuckDuckGoとBrave Searchの市場シェアは、合計しても世界で1.5%に満たない。だが、その影響力は数字以上のものがある。
2019年、GoogleはChrome 73のデフォルト検索エンジンリストにDuckDuckGoを追加した。
2024年4月、Googleは「シークレットモード」訴訟で和解し、「数十億件のデータ記録」を削除することに同意した。
2024年8月5日、連邦地裁のアミット・メフタ判事はGoogleを独占企業と認定。その判決文の中で、プライバシー検索エンジンの存在は、Googleが市場支配力を乱用した証拠の一つとして言及された。
ワインバーグは2023年の15周年ブログでこう書いている。「もしGoogleの反競争的な戦術がなければ、私たちは今の10倍の規模になっていたかもしれない。それでも、Googleの独占体制下でこれほど多くの人々がプライバシーを求めて私たちを選んでくれたことは、驚くべきことです」 ※Celebrating 15 Years of DuckDuckGo
しかし、Googleの市場シェアは依然90%以上。プライバシーという武器は、道徳的勝利をもたらしたが、帝国を揺るがすには至らなかった。本当の脅威は、2022年11月30日、全く予想外の場所から現れる。
第六幕:AI検索という新たな戦場(2022-現在)
ChatGPTの衝撃

2022年11月30日、OpenAIはChatGPTを公開した。
反応は爆発的だった。公開から5日で100万ユーザーを獲得。2ヶ月で1億ユーザーに達した。史上最速の成長だった。
ChatGPTが提供したのは、「検索」とは異なる体験だった。
従来の検索は、質問を入力すると、関連しそうなWebページのリストが返ってくる。ユーザーは自分でリンクをクリックし、ページを読み、情報を探す。
ChatGPTは違った。質問を入力すると、「答え」が返ってくる。ページのリストではなく、直接的な回答だ。リンクをクリックする必要がない。ページを探す必要がない。
これは「検索」の定義そのものを変える可能性があった。
Google本社では、緊急体制が敷かれた。社内では「Code Red」が宣言された。創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが、久しぶりに経営会議に参加した。
Bardの失態

2023年2月6日、GoogleはAIチャットボット「Bard」を発表した。ChatGPTへの回答だった。
しかし、発表は災厄に終わった。
デモ動画で、Bardはジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)について質問に答えた。「JWSTは太陽系外惑星の最初の写真を撮影した」という回答だった。
これは事実誤認だった。太陽系外惑星の最初の写真は、2004年にヨーロッパ南天天文台が撮影している。JWSTは2022年に打ち上げられた。
この誤りは瞬く間に拡散した。2月8日、Googleの株価は7.7%下落。時価総額にして約1,000億ドルが消えた。
翌日の2月7日、MicrosoftはBing検索とChatGPTの統合を発表した。サティア・ナデラ CEOは記者会見でこう述べた。
「私は人々に、我々がGoogleを踊らせたことを知ってほしい。」 ※The Verge
30年近くGoogleの影に甘んじてきたMicrosoftにとって、これは歴史的な瞬間だった。
2024年8月5日——「違法な独占」認定
2024年8月5日、米連邦地裁のアミット・メフタ判事は、277ページに及ぶ判決文を公開した。
「Googleは独占企業であり、独占を維持するために独占企業として行動してきた。」
※裁判記録
司法省は2020年10月にGoogleを提訴していた。約4年の審理を経て、判決が下された。
認定された違法行為は明確だった。Googleは一般検索サービス市場で独占的地位を持ち、その地位を維持するために排他的契約を結んだ。Apple、Samsung、Mozillaなどとの契約により、競合が市場に参入する機会を奪った。
しかし、判決のタイミングに注目すべきだ。
訴訟が提起された2020年、Googleのシェアは約90%だった。判決が出た2024年、シェアは約89%だった。訴訟中もGoogleの支配は続いた。
規制は「予防的」ではなく「治療的」だった。市場支配が確定してからの介入だった。
2025年9月2日——救済措置決定
2025年9月2日、Mehta判事は救済措置を決定した。
司法省は強硬な措置を求めていた。Chromeの売却。Androidの売却。Googleの解体だ。
判事の判断は、それより穏やかだった。
- Chrome売却:却下
- Android売却:却下
- 排他的契約の禁止:承認
- 検索データの競合への一部共有:承認
救済措置は6年間有効とされた。
なぜChrome売却は却下されたのか。判事は判決文でこう述べた。
「AIにより検索市場はより競争的になった」
※裁判記録
皮肉だった。規制当局よりも、AI技術の方がGoogleの独占を脅かしている——判事自身がそう認めた形だ。
「検索ボリュームが減少した」
2025年5月7日、Appleのエディ・キュー上級副社長は、反トラスト訴訟の証人として法廷に立った。
彼の証言は、業界に衝撃を与えた。
「22年間で初めて、先月、検索ボリュームが実際に減少した」
この発言により、Google親会社のAlphabetの株価は約8%(約1700億ドル以上)下落した。Googleが公式声明を出すほどの一大事となった。※今朝の検索トラフィックに関する報道についての声明を以下に示します。
Safariブラウザからの検索数が、初めて前年同月を下回った。
2024年10月、Googleの検索シェアは89.34%を記録した。2015年以来初めて、90%を下回った。
数字だけ見れば、わずかな変化だ。しかし、その意味は大きい。「検索する」という行動そのものが変わり始めている。
米国の検索の58%は「ゼロクリック検索」——検索結果ページでリンクをクリックせず、そのまま離脱する——になっている。AI Overviewsが答えを表示するから、リンクをクリックする必要がない。しかし、そもそも検索すらしなくなっている人が増えている。ChatGPTやPerplexityに直接質問するからだ。
Googleは検索市場で89%を握っている。しかし「検索市場」そのものが縮小し始めている。

検索エンジン戦争が教える5つのパターン
35年の検索エンジン戦争は、テクノロジー業界で繰り返される「勝敗のパターン」を浮かび上がらせる。
パターン1:技術的優位は必要条件だが十分条件ではない
AltaVistaは技術で勝っていた。1,600万ページのインデックス、64ビットプロセッサによる処理速度、研究者の45%からの支持。
しかし親会社Compaqの無理解とポータル化戦略で自滅した。技術への投資は止まり、インデックスの更新は放置された。
Googleは技術(PageRank)だけでなく、ビジネスモデル(AdWords)、プラットフォーム戦略(Chrome、Android)の三位一体で独占を確立した。技術的ブレイクスルーは出発点に過ぎなかった。
パターン2:「検索」の定義は常に変化する
- 1990年:「ファイル名を見つけること」(Archie)
- 1994年:「Webページの全文検索」(WebCrawler)
- 1998年:「関連性の高いページを見つけること」(Google)
- 2012年:「物事を理解し、直接答えを返すこと」(Knowledge Graph)
- 2022年:「AIに聞いて答えを得ること」(ChatGPT)
定義が変わるとき、前時代の勝者は適応できない。AltaVistaはポータル化で対応しようとして失敗した。Yahoo!は検索を外注して主導権を失った。
Googleは今、AI Overviewsで対応しようとしている。しかし「検索して閲覧する」から「AIに聞いて完結する」への変化は、検索エンジンというビジネスモデルの根幹を揺るがす。
パターン3:規制は遅効性
Microsoft訴訟は、IEが95%を握った後に和解した。Google訴訟は、Googleが89%を握った後に判決が出た。
独占禁止法は「予防的」ではなく「治療的」だ。市場支配が確定してからの介入は、しばしば手遅れになる。
皮肉にも、Mehta判事は「AIにより検索市場はより競争的になった」と述べた。規制当局よりも技術革新の方が独占を脅かしている。
パターン4:プラットフォームを握る者が勝つ
Googleは検索エンジンだけでなく、ChromeとAndroidを握った。これにより「検索の入口」を支配した。
Appleへの年間200億ドル以上の支払いは、競合が育つ可能性を完全に封じる「保険料」だった。Mozillaへの年間約5億ドルも同様だ。
次のプラットフォームは何か。スマートフォンの次の「入口」は、AIアシスタントかもしれない。その入口を握る者が、次の覇者になる。
パターン5:勝者は必ず入れ替わる
- AltaVista → Yahoo! → Google
- 35年で、覇権は3回入れ替わった
この法則が正しければ、次の覇者が現れる。それはOpenAIかもしれないし、Perplexityかもしれないし、まだ存在しない企業かもしれない。
確かなのは、現在の勝者「Google」が永遠に勝者でいることはない、ということだ。
検索エンジン戦争の35年は、一つの真実を繰り返し証明してきた。技術的先駆者は、必ず敗れる。
AltaVistaは技術で勝っていたが、親会社の無理解で自滅した。Yahoo!は検索を「外注可能な部品」と見なし、歴史に名を残す失敗を犯した。Googleは89%を握っているが、AIによって「検索」という概念自体が揺らいでいる。
今、あなたが情報を探すとき、何を使っているか。Google検索か、ChatGPTか、Perplexityか。その選択は、1年前と同じだろうか。
そして——次の「検索」は、どこから現れるのか。
本記事の執筆にあたり以下の情報源を参照しました。
- SEC提出書類:Google S-1(2004年)、Yahoo! 10-K各年
- DOJ訴訟資料:United States v. Google LLC(2020年提訴、2024年判決)
- EU競争法決定:Google Shopping(2017年)、Android(2018年)、AdSense(2019年)
- 裁判所判決文:Judge Amit Mehta判決(2024年8月5日)、救済措置決定(2025年9月2日)
- StatCounter Global Stats:検索エンジン市場シェア統計
Author: Claude
Editor: John
Research: Claude、ChatGPT、Perplexity、Gemini
Image: Gemini、John
Radio Personality: NotebookLM
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