このメディア「techtech.club」の記事は、AIが書いていることが8割。ほぼAIに任せている。

そう書くと、手抜きの話に聞こえるかもしれない。実際は逆だと考えている。AIに書かせるという判断は、最高月間300万PVまで伸ばし10年以上メディア運営をしてきた過程で散々失敗してたどり着いた結論。何をAIに渡し、何を人間が抱えておくか。その線引きを間違えなければ、AIに書かせるほうが総合的に良いと考えている。

この記事は、その線引きの話をする。具体的な構築手順は書かない。ツールの設定方法でもない。どういう思想で、どういう仕組みで、どんなフローで自社メディアを動かしているか、その全体像を見せる。使っている道具はObsidianとClaude Code、そしてその上に乗るSkillとMCPだが、道具の話は後半に回す。先に思想から入る。順番を逆にすると、道具の便利さに目を奪われて、肝心の判断軸を見失いそうだから。

これまでメディアの価値だったものは、もう価値ではない

AIが書く時代、メディアの価値は「一次情報」。Obsidian × Claude Codeでどう運営しているか

メディアが何で価値を生んできたかを振り返ると、大きく二つだったと思う。

一つは、散らばった情報を整理すること。あちこちに分散している事実や数字を集めて、一覧にして、比較できる形にする。もう一つは、難しい情報をわかりやすくすること。専門用語まみれの一次資料を、普通の人が読める言葉に翻訳する。この二つを丁寧にやれば、人は読みに来た。SEOでも良かった。整理と翻訳が、そのままメディアの価値だった。

そして、その二つをAIが奪った。

情報の収集、整理、加工。この領域で、人間はもうAIに勝てない。速さでも、網羅性でも、わかりやすさでも負ける。しかも、誰もが同じことをAIにやらせられる。かつては編集者の技術だったものが、今は誰でも数十秒で再現できる。再現できるものの価値は薄まった。これは技術の進歩を嘆いているのではなく、価値の置き場所が動いたという事実の確認でもある。

整理と翻訳を売り物にしていたメディアは、これからどんどん苦しくなると考えている。実際、私たちが運営している同じ形態のメディアも厳しい。同じ材料を、より速く、より安く、AIが処理してしまうからだ。

では、価値はどこに残ったのか

AIが書く時代、メディアの価値は「一次情報」。Obsidian × Claude Codeでどう運営しているか

残ったのは、やはり一次情報だと考えている。やはり、というのは、一次情報の価値は以前から指摘されてきたからだ。それがいま、さらに強まっている。強まったというより、まわりが削ぎ落とされて、一次情報だけが残ったと言うほうが近いかもしれない。

ここで言う一次情報は、ニュースのスクープのことではない。人間が実際に経験したこと、体験して感じたこと、自分の頭で考えたこと。行動して返ってきたフィードバック。失敗したという事実と、なぜ失敗したのかという理由。どう乗り越えたか。なぜ成功できたのか。何を目標にして、いま何をしているのか。そういうものを指している。

これらに共通するのは、すでにどこかに存在する情報ではない、ということ。思考と行動が伴って、いくつもの要素が組み合わさって、初めて生まれる。だから検索しても出てこないし、AIにも生成できない。AIは世界に存在する情報を編み直すことはできるが、まだ存在しない経験を作ることはできない。経験するには、身体と時間が要る。

整理と翻訳がコモディティになった世界で、唯一コピーできないのが一次情報だ。だからメディアの価値は、そこへ移ったと考えている。逆に言えば、一次情報を持たないメディアは、AIで誰でも作れるものを量産しているにすぎない。

食材は人間が集め、調理はAIに任せる

AIが書く時代、メディアの価値は「一次情報」。Obsidian × Claude Codeでどう運営しているか

この役割分担を、料理に例えるとわかりやすい。

人間がやるのは、食材を集めることだ。体験、経験、実践、思考のあらゆる行動が、食材を仕入れる作業にあたる。どこで仕入れたか、どう手に入れたか、どう育てたか。その来歴ごと、人間が抱える。一次情報とは、この食材そのものだ。

集めた食材を使って、AIに料理を作らせる。このとき人間が渡すのは三つ。食材と、レシピと、ゴールだ。何を使って、どう調理して、最終的にどんな一皿にしたいか。これは人間が決める。一方で、火加減や切り方、味の組み立てといった細かい調理は、AIに任せたほうが速いし、正確だ。文章を書くという工程は、この調理にあたる。

そして、出来上がった料理に、人間が最後の味を調える。塩を少し足す。添えるソースを変える。盛り付けを直す。ただし、料理そのものは作り替えない。ここが大事なところだ。AIが仕上げた一皿に、人間が手を入れてフィードバックを返し、自分の舌に合うまで微調整する。全部を作り直していたら、AIに任せた意味がなくなる。

整理すると、こうなる。食材とレシピとゴールは人間が持つ。調理はAIに渡す。仕上げの味付けは人間に戻す。この往復が、いま運営しているメディアの基本動作だ。文章をAIが書くという話は、この三段構えの真ん中だけを切り取ったものにすぎない。

その思想を、どう実装しているか(全体の地図)

ここからが道具の話になる。思想を実際に動かすために、何をどう組み合わせているか。料理の比喩をそのまま引き継ぐと、全体像が掴みやすい。

Obsidian=食材庫、Claude Code=厨房、Skill=レシピ、MCP=外部の調達口
全体アーキテクチャ

一次情報の蓄積(Obsidian)と、それを料理する場(Claude Code)を中心に、レシピ(Skill)と外部調達口(MCP)が組み合わさっている。

 

Obsidianは、食材庫だ。

Obsidianは食材庫
考えたこと・気がついたこと・行ったこと・決めたこと等は文書化してObsidianに保管

日々の体験、思考のメモ、議事録、うまくいかなかったことの記録など一次情報をすべてここに蓄積している。ただ放り込むだけではなく、メモ同士をリンクでつないで、後から関連を辿れるようにしている。冷蔵庫に食材を入れるとき、何がどこにあるか分かるように整理するのと同じだ。記事の材料は、思いついたときに書いた一行のメモだったりする。それが食材庫に眠っていて、必要なときに取り出される。

 

Claude Codeは、厨房だ。

Claude Codeは厨房
作業を行うのは基本的にClaude Code。VS Codeの拡張機能を使用

食材庫から材料を持ち込んで、実際に料理する作業場にあたる。ここが普通のチャット型AIと違うのは、食材庫であるObsidianのファイルに直接手が届くところにある。チャットに材料を一つずつ貼り付ける必要がない。厨房と食材庫が地続きになっている。だから、メモや過去の記録を踏まえた上で、文章を書かせられる。

 

Skillは、レシピだ。

「この種類の食材を、こう調理して、こういう一皿に仕上げる」という手順を、型として固定したものと考えるとイメージしやすい。例えば以下のようなレシピがある。

  • 食材を作るレシピ:自身の考えや行動、気付き、学びなどを整理して保存する
  • 食材を整理するレシピ:雑多に保存された情報を分類分けや統合をして整理する
  • 作る料理を相談するレシピ:溜まっている情報を引き出して、記事の企画を作る
  • 料理を作るレシピ:企画から記事タイプに合わせた原稿を作る
  • 完成した料理を提供してよいか確認するレシピ:原稿の最終チェックを行う
  • 提供した料理の評判を確認するレシピ:検索やPVなどの数値を見て分析を行う

工程ごとにレシピ(skill)を分けて持っている。毎回ゼロから「こう書いて」と指示するのではなく、レシピを呼び出せば、決めた手順と決めた基準で調理が始まる。味のブレを抑える仕組みでもある。

 

MCPは、厨房の外にある調達口だ。

MCPは、厨房の外にある調達口だ。
メディアの成果を分析するため、外部ツール(GA4、GSC)から数値を持ってくる

厨房の中だけでは手に入らない食材や調味料を、外から取り寄せる窓口にあたる。たとえばサイトのアクセス数のような外部の数字を、その場で引き込んでくる。これによって、厨房に立ったまま外の状況を確認しながら料理ができる。

この四つが噛み合うと、一次情報を蓄える場所と、それを料理する場所と、料理の型と、外部から材料を取り寄せる口が、一つの台所として動いていくというわけ。

一次情報が記事になるまで(循環するフロー)

道具の地図が見えたところで、それらがどう流れて一本の記事になるか、循環として示す。

人間の行動で一次情報が生まれ、Obsidianに蓄積され、Claude CodeとSkillで記事になり、人間が味を調えて公開し、その反応がまた一次情報に戻る循環フロー図
一次情報が記事になり、公開の反応が次の一次情報に戻る循環。起点も終点も人間の経験にある

始まりは、いつも人間の行動だ。何かをやってみる。試して、つまずいて、考える。そこで生まれた一次情報を、食材庫であるObsidianに書き留める。この時点では記事の形をしていない。ただのメモであり、食材の状態だ。

記事を作ると決めたら、厨房に材料を持ち込む。どんな読者に、何を持ち帰ってほしいか——ゴールを決め、どの食材を使い、どう構成するかというレシピを選ぶ。あとは調理をAIに任せる。文章を書く工程そのものは、ここでAIが担う。

出てきた原稿に、人間が味を調える。事実がずれていないか確かめ、語り口を整え、足りない一次情報を書き足す。料理そのものは作り替えず、塩加減だけを直すイメージだ。この往復を何度か繰り返して、最終チェックのうえ公開する。

そしてここで終わらないのが循環と呼ぶ理由。公開した記事には反応が返ってくる。読まれ方、届き方、外した手応え。それ自体が新しい一次情報になり、また食材庫に蓄えられる。次の記事の材料になる。これはGoogleアナリティクスやGoogle Search Consoleといったツールを使い、淡々と数値として見て評価している。

経験から始まって、経験に戻る。この輪を回し続けることが、運営の実体だと考えている。

これは10年の着地点であって、完成形ではない

AIが書く時代、メディアの価値は「一次情報」。Obsidian × Claude Codeでどう運営しているか

ここまで書いた思想と仕組みは、いまの正解ではない。10年メディアをやってきて、酸いも甘いも経験して、現時点でたどり着いた着地点というだけだ。

整理と翻訳が価値だった時代があり、それがAIに奪われ、価値が一次情報に移った。この流れ自体、数年前には見えていなかった。だとすれば、いま正しいと思っている線引きも、また動くと考えるほうが自然。AIにどこまで任せ、人間が何を抱えるか。その境界は、技術が変わるたびに引き直すことになる。

それでも、土台の思想を言葉にしておく意味はあると思っている。「AIで何ができるか」から入ると、できることに振り回される。「人間にしか作れない価値は何か」から入れば、AIは手段の位置に収まる。先に思想があるからこそ、では今度はAIでどう実装しようか、と考えられる。順番を守る限り、道具が変わっても迷わずに済む。

あなたが何かを発信しているなら、一度問い直してみてほしい。いま自分が出しているものは、AIで誰でも作れるものか。それとも、自分が経験しなければ生まれなかったものか。その答えが、これからの価値の置き場所を決める。

※この記事は、私なりのAI時代におけるメディア運営の思想や仕組みの全体像にフォーカスした。もし具体的なツールや設定方法、手順などが知りたい場合は以下のポストにコメント頂けると嬉しい。

ジョン

Author

ジョン

techtech.club 編集長。メディアで起業し、元はスタートアップのプロダクトマネージャー。一度テクノロジーに賭けて挫折した。その経験がいまの生き方や考え方、事業の起点になっている。ここで書くのは答えではない。投資・キャリア・事業など専門家でなくても自分の頭で判断するための材料と視点。読者に教えるのではなく、一緒に考える側にいたい。